07-03 わが征くは星の政界(その3当選、そして編) もしも同盟に生まれていたら

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07-03 わが征くは星の政界(その3当選、そして編) もしも同盟に生まれていたら

ラインハルトは、反体制派はもちろんのこと、その美貌により、圧倒的な女性票を味方に付け、無事に議会へと当選したのであった。
(多くの男性は戦地に送られていたため、女性票が議会選挙においての帰趨を決めたのである)
半ば追っかけ同然の熱心な女性支持者達の中に、同盟軍きっての名将の誉れ高い、アレクサンダー・ビュコック提督の妻や、若くして後方参謀としてその才覚を現していた、キャゼルヌ少将の妻オルタンスの姿もあった。
このことが、後のラインハルトにとって、後に大きな意味を持つことになるのだが、この時点では単に頼もしい後援者の一人にしかすぎなかったのである。

議会入りしたラインハルトは、躊躇せずに国防委員としてその籍を置くこととした。

戦時下であるため、議会内での発言力の大きさもさることながら、目下の最大の敵、ヨブ・トリューニヒト派閥の巣窟であったことからも、当然の選択であった。

ジークはと言えば、主席秘書官として、ラインハルト議員の陰に徹していた。
彼の最大の仕事は、国防委員会の中で、孤立無援の戦いをしているラインハルト議員と共に闘ってくれる同志を見いだしていくことであった。

そんな折り、ある嵐の夜、二人の下宿に一人の軍人が訪れていた。
彼は帝国からの亡命者や、その子弟からなる陸戦部隊ローゼンリッター連隊のオスカー=フォン=ロイエンタール少佐と名乗った。(丁度連隊長が裏切り帝国側へ再亡命したため、大敗を喫した直後であった)

彼が言うには、その会戦における敗戦の責任の一端として、抗命罪により軍法会議に訴追された、士官学校の後輩であり、親友でもあるダスティ・アッテンボロー少佐を助けて欲しいと言うことであった。

勝敗を決する直接的な引き金は、ローゼンリッター連隊長の裏切りによる、地上戦での敗退であったにせよ、そもそも作戦自体が当初から戦術的にはおろか、戦略的に見ても無謀であり、大敗走は必然であったことを、二人は当然理解していたのである。
また、その眼力に今時の議員にない魅力を感じたロイエンタール少佐は、軍内部から不正を正していくことをラインハルト議員に誓ったのであった。

二人はこの不正を暴くために、軍上層部の誰を見方とするかを考えた。
結果として、最も政略に毒されておらず、また、ロイエンタール、アッテンボローらの士官学校時代の校長であったという事実もふまえ、シドニー・シトレ元帥の下を訪ねることとした。
案の定、元帥により冤罪が暴かれ、アッテンボローはじめ、スケープゴートにされた将兵すべては訴追を免れることとなったのである。
しかしながら、冤罪を着せた張本人達はトリューニヒト派閥の力によって、訴追すら受けなかった。

一方、ラインハルト議員は、徴兵対象年齢より若かったものの、その戦略的な眼力に惚れ込んだシトレー元帥の薦めもあり、また、当人自身もまずは軍部の不正を正していくことに意義を見いだし、議員を辞し軍へと志願した。もちろんジークと共に。

議員特権として徴兵を免れていた若手・中堅議員の中で、予めジークが目を付けていた数人の議員達も、彼らの後を追って、続々と軍に籍を移したのである。
彼らとロイエンタール、アッテンボローら全員はトリューニヒトとの取引の中で、人事権を得たシトレー元帥の計らいにより、ビュコック提督率いる第五艦隊へと着任した。

元帥は名を捨て実を取ることにより、未来の同盟軍を彼らへと託したのであった。
どうせ事実上近々ドーソン大将へ勇退という形でその座を明け渡さねばならないことは見えていたのだから。

第五艦隊で、ラインハルトは大佐として分艦隊司令となり、副官としてキルヒアイス少尉、参謀としてアッテンボロー中佐、主な艦艇の艦長として、ロイエンタール中佐始め、議員からの転入組が就いたのである。
これらの人事に関しても、シトレー元帥の意志を汲み取ったビュコック提督の配慮によるものである。

議員組はともかくとして、士官学校も出ていないジークの士官待遇や、陸戦隊のロイエンタール中佐が艦長となるなど、異例づくしの人事ではあった。
が、妻から二人の人となりを知り、また事のいきさつを知るビュコック提督ならではの人事とも言えよう。
こうしていよいよ彼らは星の大海へと出発していったのである。

新たなる銀河の歴史が、また一ページここに始まったのである。



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